ヘドバ・アムラニ(Hedva Armani)について
ヘドバ・アムラニは、国際的な歌手そしてアーティストとして、イスラエルや日本をはじめ、ヨーロッパ、アメリカになど、世界の様々な国や地域で、確固たる地位を築いてきました。
ヘドバは、日本で人気を博した初めてのイスラエル人歌手としても広く知られています。
また、彼女はイスラエルの最大級のシアターでの公演をはじめ、パリのオリンピア、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、ニューヨークのカーネギーホール、ザ・タウンホール、フィラハーモニックセンター、ロサンゼルスのドロシー・チャンドラー・パビリオン、そして日本武道館など、世界各国の名高いミュージックシアターで観衆の心を掴んできました。
生い立ち
ヘドバの独創的な歌声。それは、イスラエルの一流イエメン系の家庭に生を受けた、3代目サブラ(イスラエルの土着出身)としての生い立ちに由来しています。その彼女にしか生み出せない歌声を活かし、ヘドバは数々のヒット曲を発表。アメリカのRCAやMGM、CBSなどのレコード会社および映像制作会社にて、多数のアルバムを制作しました。
これまでのキャリア
ヘドバは、デュオユニット「ヘドバとダビデ」の女性ボーカルとしてキャリアをスタートしました。その後、日本で開催されたヤマハ音楽振興会主催の第1回東京国際歌謡音楽祭にイスラエル代表として出場。「I Dream of Naomi. (ANI HOLEM AL NAOMI)」で見事グランプリを受賞しました。
その後、同曲を日本語の歌詞した「ナオミの夢」を収録。日本において、グラミー賞に相当するほどの快挙を成し遂げた唯一の海外シンガーとなりました。「ヘドバとダビデ」は「ナオミの夢」で何百万枚ものセールスを達成。日本では、その後8枚のアルバムをリリースしました。
母国イスラエルへの貢献
アメリカでは「Bashana Habaah(日本語タイトル:幸せは夢でなく)」を起用した、イスラエル観光局のためのCM撮影に参加。このCMにより、何百万人ものアメリカ人がイスラエルに興味を持つきっかけになったとして、本CMはその年の「ベストコマーシャル」を獲得しました。それは、ヘドバの大きな功績が認められ、イスラエル建国25周年の際、ヘドバは建国以来イスラエルに大きく寄与してきた25名の重要な人物の一人として選出されました。
また、イスラエルがエジプトと平和協定を締結した後、へドバはエジプトを訪問し「Dove of Peace」を熱唱。完璧なアラビア語で初めて楽曲を披露した、唯一無二の歌手となりました。
最近の音楽活動
ヘドバの楽曲のレパートリーは、とても多彩です。彼女のオリジナル曲はもちろん、世界的な名曲やイエメンの先祖から受け継がれるユダヤ人の暮らしを歌った曲など、イスラエルや世界で彼女を有名にした曲が多数含まれています。
ヘドバは、現在も新たなアルバムをリリースし続けています。最新シングル「Just Be (Pashut Lihyot)」はイスラエルのチャート上位を記録。同曲は、彼女の他のアルバムとともに、iTuneで聴くことが可能です。彼女の楽曲は、イスラエルのラジオ番組で日常的に聴くことができるとともに、彼女自身も現地のテレビ番組に多数出演しています。
日本での代表作
・『ナオミの夢』/ ヘドバとダビデ (1971年)
(第1回東京国際歌謡音楽祭に、ヘブライ語の楽曲「ANI HOLEM AL NAOMI」で出場し、グランプリを受賞。)
・『幸せは夢でなく』/ ヘドバとダビデ (1971年)
・『朝もやのなか』/ ヘドバとダビデ (1971年)
・『二人だけの夢』/ ヘドバとダビデ (1972年)
・『バン・バン』/ ヘドバとダビデ (1974年)
・『悲しみの橋を渡る時』/ ヘドバとダビデ (1975年)